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国会議事堂と東京タワー [写真]

RIMG0010.JPG

本日は九段で仕事を終えて
直帰でした。

仕事終わりでジョギングして
いる人たちを見ていたら、

ワタクシも皇居のお堀沿い
に歩いて東京駅まで行って
みよう、とふと思いました。

その時に目に止まった景色。
「国会議事堂と東京タワー」
が2ショットで見えるなんて・・

国会議事堂を実際に見たの
は初めてでした。

この構図は確かに存在する
のですが、実はお堀沿いの
桜の木がどうしても入って
しまうので、ペイントで木の
枝を消しています。

立派な桜の木が多いので
枝がかなり艶かしく写り
込んでしまうのです・・
RIMG0016.JPG


せっかくなので
国会議事堂の前
まで足を伸ばして
みました。

実に物々しい警備
だなと思っていたら、
デモの真っ最中・・
RIMG0018.JPG


デザイン的に優れ
ていると言われる
国会議事堂ですが、

暗がりの中で見ると
その重厚な作りから
なんか監獄みたいに
見えました・・


深い意味はありません
ので悪しからず。

最後は皇居外苑にある、馬にまたがった楠正成像です。
RIMG0028.JPG
ISO64にて8秒間の露光。太陽のように見える光は月です。かなりリアルな作りの像だったので
明暗が出て面白い写り方になりました。

楠正成と言えば、ワタクシの会社の本社近くの千早赤阪出生で千早城の城主でもありましたが・・
皇居に銅像があるのはなんでなのでしょうね?

ともかく、良い運動になりました。
 
 

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tooshiba

素晴らしい夜景でした。
機材は、まだR8でしょうか?
(私はR8を使いこなせないようなので、乗り換えを熱望中です・・・Orz)

ウィキその他の受け売り+妄想のハイブリッドですが、、、鎌倉幕府を倒すのに功績があり、かつ南北朝時代に、南朝(後醍醐天皇)側についていた武将だからでは?
“天皇側にとって忠臣”という扱いなのでしょう。
(敵方となった足利尊氏からも、高く評価されていた人物みたいですが。)

日本の歴史(教育上)は、鎌倉以降は原則として各時代の幕府=武士を基準に描かれることが多く、建武の新政も、「いざ始まってみると貴族が優遇され、武士が割を食う羽目になり、武士たちの不満が高まっていった」みたいな記述がなされていたと思います(「漫画日本の歴史」みたいな本で読んだ記憶があります)。

像自体については、ご存じだったら釈迦に説法で恐縮ですが、明治33(1900)年に住友家によって献納されたものです。別子銅山開山200年の記念に企画・東京美術学校に作成を依頼し、高村光雲らの手によって最新の技術を駆使して作られたものです。(環境省のホームページより)
住友家と楠木正成及びその子孫との間に血縁等があったりしたのではないとしたら。像そのものは、当時の産業家が、明治天皇(もしくは天皇家)に対する忠誠心を具現化したい、あるいは自らの虚栄心を満たしたい(ついでに自分たちの財力を見せつけたい)ためのもので、たまたま題材に楠木正成を選んだのかもしれませんね。
by tooshiba (2010-12-21 11:35) 

hako

こんな角度で見えるのですか、面白いです。
日本の象徴とJTですかね。
by hako (2010-12-21 21:04) 

OCEANBREEZE

>tooshiba様
 まだRICOH R8ですが、最近シャッターが切れないことが増えていて
 電車撮影時には少々困っています・・そろそろ限界かもしれません。。
 確かに楠正成は攘夷派だったそうですね。

>hako様
 ただ桜の木の枝が大分入ってしまうので、ちょっと残念です。
 ワタクシもなんとかこの写真を生かそうと、ペイントで木の枝を消しました。
 JTのビルとは・・全くのノーマークでした。
by OCEANBREEZE (2010-12-23 11:56) 

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